Monthly Archives: 8月 2018

どうやって人と出会うのか?パリもお江戸も都市民はつらいぜ

Text by Yuta Segawa   文:世川祐多

私は2012年の秋に単身東京からパリへと渡った。東京やパリ生まれは別として、本物の江戸っ子や、巴里っ子が少ないように、普通、大都市には学業や仕事のため、単身者が集まってくる。

友人もいない街で、単身であるということは、孤独である。それを逃れるには人と会うしかない。夜遊びに繰り出すなり、自分の居場所を見つけるなり、人と触れ合おうとしていかなくては、人と出会う第一歩は生まれない。

江戸は、勤番侍や出稼ぎの農民などで溢れかえる、男過剰の独身男の街であった。今の東京も多くのシングルの男女が溢れかえる。パリもそう。半分は独身。これは昔も今も大都市の宿命と言える。

大都市では人とどうやって出会うのか? 〜ダイレクト編〜

大学。

博士課程では、そもそも博士課程の学生が数えるほどしかいないし、決められた授業もないから出会いは少ない。しかし、フランス人はほとんど修士課程に進んでから就職していくので、修士課程までは、学生仲間がたくさんいて、友情でも恋愛でも気の合う人との出会いがある。

こういうように博士課程でなければ、大都市でも学校が出会いの場になる。パーティーなんかに呼ばれれば、友達の友達へと出会いが広がる。

趣味。

スポーツやジャズといった音楽など、自分の趣味を通して、友達が増える。ホームパーティーなどに呼ばれて、さらに友達の輪が広がるというパターン。恋愛もあり。

職場。

職場の同僚と友達になるというのは、仕事は仕事だから難しいが、職場恋愛からの結婚というパターンは日本同様に多い。学生を終えれば出会いの場などそうそうないから当たり前。

といえども、ダイレクトな出会いで、気の合う仲間やドストライクな恋愛相手に出会うことは難しい。

大都市では人とどうやって出会うのか? 〜インダイレクト編〜

これは、主だって恋愛相手を求める人間が使うが、現代においては多種多様な出会い系サイトが溢れている。

セフレ募集。不倫相手募集。真面目な出会い。ホモセクシャルの出会い。アジア人専門・アラブ人専門・黒人専門・エリート限定など的を絞って対象を選別する出会い。

様々なサイトやコマーシャルがテレビでもメトロの広告でも溢れている。

さあ、しかし、ネットという気軽な媒体での出会いがここまで進化したのに、パリっ子の半数は未だ独身。これはどういうことか。

本当の友達、この人だという恋愛相手に出会う難しさ

みんながみんなそうではないが、普通、学士修士の大学生は、思春期から大人になり、酒を覚え大都会の夜遊びを覚えたてだから、にこやかに生活を謳歌し、友達も増えるわ、恋愛も順調。

問題は彼ら以外の大人たちの出会いである。

博士課程になると、人がいなくなり、研究仲間は会社の同僚のようなもので、通常友達という訳でもないし、内向的な人も多いから、それまでの学生生活とは違ったハリのないものになる。数人の仲間の中で、こいつ面白いな、この人いいな、というものは普通ない。研究者なんてそんなもの。

また、大都市に色濃くなる問題として、いつも人口過多の街で息苦しく、日々の生活に追われ、満員電車に乗り、狭い家に暮らし、疲れ果てるというストレスがある。

さらに、太陽不足を補うビタミン剤を飲まなくてはならないほど、秋冬春先に太陽のないパリの人間なんて、みんなイライラして、疲れて、日本同様鬱や自殺のオンパレード。そういうストレスを溜め曇った表情の気質の人に、いい出会いは訪れない。

人間は通常心身ともに健康で英気が満ち溢れ、自然とにこやかにいる時にこそ、様々の楽しい出会いの連鎖が起こっていく。

でもパリにはパーティーが多い。それは、少しでも誰かと出会いたいという人間の本能だろう。

しかし、パリのパーティーは、疲れ切った大人たちの酒肴を介した表面的なご挨拶パーティーになることが多い。「あなたはどなたのお友達で?」「何をされて?」「ご出身は?」「左様ですか、興味深うございまして。」という口上の連続。

僕はといえば、薄っぺらいことが嫌いだから、嗅覚を働かせて面白そうな人を探す。いちいち全員に表面的な挨拶を交わしても疲れるだけだし、満遍なくは無理。来られたら別として、こちらからは面白そうな数人、あるいは目があった女に絞る。心身ともに不健康そうな人は見りゃわかるし、目が淀んでいるから、できるだけ生き生きした目の人に近づく。

パリにはオンラインの出会いサイトが溢れているが、やっている人に聞くと、中には運命の相手を見つけたという人もいない訳ではないが、ほとんど戦果がイマイチだという。

「会ってはみたけれど。」「少々お付き合いしたけれど、やっぱり違った。」「体目当てのクソ野郎だった。」などという声を多く聞く。

フランス人は本来保守的だから、新しいものがアメリカのようにはすぐには発展しないのかもしれない。そして、相手をまずはよく見るし、警戒心も強く、同様に、ロマンチストでもあるから、やはりダイレクトな出会いを心の底では欲している。

すると、この花の都の人の渦、忙しない時の流れに比例する表面的な出会いの連続の中で、気の知れた友達の新規開拓、心底惚れて付き合いたい恋愛相手に出会うことは、一層むずかしくなるのである。

ロマンティックのかけらもないオンラインの軽さと、出会いたいのに出会えない、けどダイレクトに出会いたいという絶妙のラインを行くために、東京で流行っているとかいう相席居酒屋とか、街コンとか、そういうのがフランス人には合っているのではと思うのである。

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司さんの文を読んで、もちろんダイレクトな出会いにこだわる人もいるでしょうが、アメリカは合理的ならどんどん機械的なものの恩恵を躊躇なく受け入れて行くのだろうなという雰囲気が感じられました。

メリケンさんたちならいつの日か、ネットの出会いの時代も終わり、ポストモダンが来たら、出会うこともやめ、全て遠隔の人工授精で子孫を残すんじゃないかとか妄想してしまいます。ダイレクトな快楽は脳内のICチップがしてくれるからもう良いと。

他方、ネットの活用やネット上での出会いが隆盛なアメリカの、こういう合理化をどんどんやってしまう精神性が、アメリカのダイナミズムを生むのではなかろうかと。

アメリカという国にも住んでみたいなとも思う。けれど、英語を極めるなら、ロンドンだよなとも思うし。悩ましい。

恋愛はオンラインがスタンダードに。あなたの運命の相手は何ヘイター?

Text by Tsukasa Kondo    文:近藤 司

2008年9月4日に私はスーツケース一つを持って、演劇学校に通うために渡米しました。ニューヨークのJFK空港に降り立った私のスーツケースの中には学生時代に2万円払って購入した電子辞書が入っていました。子どもの時から英語を使う環境で育ったため英語には自信があったものの、いざアメリカ生活を始めたらきっと知らない単語がたくさんあるに違いない。学校や役所でパッと調べられたら便利なはず。そう思って持ってきた電子辞書でしたが、予想通りあらゆる場面で大活躍でした。

 「昔は紙の辞書しかなくて大変だった」

ニューヨークで知り合った日本人の方々が「私が渡米してきた時は紙の辞書しか無かったから、いちいち辞書を引くのも大変だった」と言っていたのをよく覚えています。若い読者さんのために説明しておくと、私は1984年生まれで当時は24歳。「紙の辞書しかなくて大変だった」と言っていた人だって私よりも8歳年上なくらいでした。

 そんな中、先日購入した日本行きの航空券。特に選んだわけではなかったのですが、9月5日の便です。午前1時の便なので9月4日のようなものです。ちょうど10年たって太平洋を逆方向に渡る私のスーツケースにはもちろん、電子辞書は入っていません。英語が上達したからではなく、スマホで何でも調べられるようになったからです。

 スマホで英単語を調べている留学生を見たら、「私が渡米した時は電子辞書しか無かったから大変だった」と私だって苦労自慢できる時代になったわけですね。「テクノロジーの発展」という言い回しは何十年も使われてきましたが、考えてみると私達が一つのテクノロジーについて語る時間は非常に短いものです。

 There’s an app for that(それやってくれるアプリあるよ)」

 テクノロジーの盛衰と共に、言葉もまたその形を変えていきます。「辞書を引く」という表現が日常会話から消えてしまったのと同じように、8年後には「ググる」なんて言葉は誰も使わなくなっているかもしれません。

 私が渡米してからの3年ほど、ひたすら耳にした表現が「There’s an app for that.(それやってくれるアプリあるよ)」でした。iPhoneが爆発的に人気になり、成功したアプリ会社がいきなり何十億、何百億円もベンチャーキャピタルからお金を集めた、なんて話が新聞を賑わせ始めた時代です。「部屋探し?There’s an app for that.」「地下鉄の時間しらべる?There’s an app for that.」「タクシーつかまえる?There’s an app for that.」といった具合です。それまでの日常生活のちょっとした作業をアプリで簡略化する、ということが爆発的にテストされた時期でした。

 There’s an app for that.」というフレーズは全国的なトレンドとなり、セサミストリートもそれをモチーフにしたエピソードを作っています。

面白いのは、アプリ自体がさらに一般化したことで、今となってはこのフレーズを聞かなくなったことです。アプリという存在が新しかったからこそ、人々が「まだ国際電話なんてかけてるの?There’s an app for that.」と日常生活にアプリを導入するという作業を細かくする必要があったわけです。今ではアプリはしっかりと定着し、通信、エンタメ、交通、旅行、とそれぞれのカテゴリーで高いシェアを誇るアプリが確立しています。「それ、アプリでできるよ」と紹介する必要が無くなったわけですね。

 オンラインデートが変える、人類史

 アプリが代替したものはたくさん存在しています。そんな中でも特に、人間の歴史に残る大きなインパクトだ、と私が個人的に思っているのが「恋愛相手との出会い」、すなわちデート・アプリです。性格や趣味に関する質問にいくつも答えて、アルゴリズムが相性が良い可能性の高いデート相手を提案してくれるようなものから、ただ画像だけを右と左にスワイプしていくものまで、様々な人気アプリが世に出ています。アジア人向け、ユダヤ人向け、と対象ユーザーを絞ったものもあれば、「真剣な交際を考えている人だけ(カジュアルなセックス目的じゃない)」と目的を絞ったものもあります。

 基本的なシステムはどれも同じです。アプリ上で画像とプロフィールを見て、お互いに気に入ればマッチ成立。メッセージを交換します。チャットを通して会いたいと思えばデート。という流れです。1日に大量のユーザーのプロフィールと画像をチェックして、効率的に自分に興味を持ってくれる人を探すことができます。一般人の恋愛相手探しが、突然に指数関数的に効率的になったわけです。これが社会に影響を与えないわけがありません。

 (ウェブ・アプリによる)オンライン・デートが社会に与える影響に関する研究はまだ新しいものですが、すでにアメリカでは異性愛者間では「友人を通じて会う」に次いで二番目に多い出会い方となっており、同性愛者間では群を抜いて一番多い出会い方となっています。アメリカでは現在、結婚するカップルの1/3はオンラインで出会ったとされています。また従来のデート候補との出会い方とは違って、オンライン・デートでは相手は共通の友人などもいない、全くの他人であることが多く、交流が全くない社会的なグループを結びつけるという効果を生んでいるようです。異なる人種間の結婚も増えることが予想され、さらにはオンラインデートが存在している社会における結婚の方が強固であるというモデル・シミュレーションも出ています。オンライン経由での出会いから成立したカップルの結婚が一般化すればオンライン・デートに関するイメージも良くなり、さらに利用者は増えるでしょう。なにせほとんどのサービスが無料、かつ誰しもがスマホを持っている時代です。何回かクリックするだけで、もしかしたら運命の相手と出会えるかもしれない

 どうでしょう。「私の時は、リアルで出会わないと恋愛できなかった」と苦労自慢する時代がすぐ近くまでやってきているように思います。

「オレの彼女、アンチ巨人ファンなんだ」

いろんなコンセプトの物が作られてきたデート・アプリですが、個人的に面白いなと思ったのは元ゴールドマン・サックスの従業員によるアプリ「Haterです。Haterとは「嫌う人」の意味。ただ文句ばかり言うような人をまとめて「Hater」と表現することもあれば、特定の物を嫌っている人を◯◯Haterと表現することもあります。

このデート・アプリ、好きな物が同じ人をマッチングするのではなく、嫌いな物が同じ人をマッチングするというコンセプトです。どうですか。確かに好きな物よりも嫌いな物の方が相性を測る上では正確な気がしないでもないですよね。趣味が一緒じゃなくてもいい、お酒やコーヒーが好きじゃなくてもいい、好きな映画が同じじゃなくてもいい、「巨人ファン/阪神ファンが大嫌い」という一点で同意できたら相性が良いことが分かる!という感覚でしょうか。

日本でも人気のテイラー・スウィフトの「Shake It Off」という歌では「And the Haters gonna hate, hate, hate, hate, hate(嫌う人は何やっても嫌ってくる)」と歌詞にHaterが使われています。皮肉にもアプリ「Hater」を紹介する記事では共通の「Hate」ポイントの例としてテイラー・スウィフトが使われていますが

しかし新しいデートアプリが次から次に出てくるということは、恋愛相手を上手く見つけている人もいる一方で、新しいアプリを必要としている人もいるわけです。「ニューヨークで恋愛するのは難しい」とは良く言われます。理由は人によって違うでしょうが、多くの人が同意するのは「Everybody is looking for the next best thing.」というもの。The next best thingは「次のベストな物」。つまりちょっと相性が良い人が見つかっても「もっと良い相手」が見つかったらそっちに移りたい、と皆が思っているということです。ニューヨークという上昇志向な街に集まる高スペックな人々によるデート市場ではこの気質も強そうです。相手に自分こそが「the best thing in townfor me)」だと思ってもらわないといけない。アプリによってデート・システムがさらに効率化することで競争は一層熾烈になっているのでしょう。

 #私の運命の相手はこれが嫌いなはず

 もしも「自分の運命の相手が嫌いだったらいいなと思う物をリストアップしなさい」と言われたら、皆さんは何を挙げますか?#私の運命の相手はこれが嫌いなはずハッシュタグを使ってツイッターやFacebookで教えてください。

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 と、本文はここまでです。ちなみにマスヤマさんの前回のエントリーの冒頭では「死ぬまでに、一度(あるいはもう一度)行ってみたい場所は、どこですか?」という質問が投げかけられていました。なかなか答えるのが難しい質問ですね。私にとっては「死ぬまでに、おそらく一度も行かない場所」という質問に答える方がずっと簡単です。

 私はゲイなので、ゲイであること自体が違法であり死刑にもなりうるサウジアラビアやイランに行くことはまず無いように思います。死刑にならなくともホモフォビアが強いとされているロシアやアフリカの国には進んで行くことは無いように思います。人生は短いので、限られた時間を使って旅行に行くのであれば、マスヤマさんが挙げていたような「LGBTにフレンドリーな場所」の中から自分が興味のある場所をピックアップして訪れると思います。パートナーのことを友人、と嘘をついて紹介しないといけない。手をつないでいたら後ろから殴られて殺されるかもしれない。なぜわざわざそんな恐怖を克服してまで旅行しないといけないんだと、つらつらと書いてみるとなぜデートアプリ「Hater」が開発されたかがピンときます。

 好きなものが好きな理由を説明するのは難しいですが、何かに対して自分が強固に「NO!」と言える時、それを説明するのは実に簡単です。自分が絶対にNO!と言うものを説明して恋愛相手を探すというのは、実はかなり奥深いものがあるのかもしれません。それがアンチ巨人であれ、アンチ阪神であれ。

 

 

 

 

mim レクチャー #10 輪島裕介さん(大阪大学)・資料集と補足

環太平洋・間アジア視点から見直す日本ポピュラー音楽史

2018/07/28 輪島裕介

Playlist:
https://www.youtube.com/playlist?list=PLofNvvSGnd26ydb13o6FYr3QzBzWzo9Es

  • レクチャーの意図:海外「からの」影響だけではなく、海外「への」影響も含めて日本の大衆音楽史を考え直したときになにが見えてくるか?
    →「洋楽受容史」ではない語り口<

  • 日本のポピュラー音楽は、日本の人々がアジアを含む「世界」での受容を強く意識し始めた1990年代〜21世紀に先行して強い影響力を持っていたのではないか。つまり、「クールジャパン」を言い出したときにはすでに「クール」ではなくなっていたのではないか? そのことをどう考える?

    1 カタコト歌謡と環太平洋

    昭和のはじめに外資系レコード会社が「ジャズ・ソング」の形式をもたらしたのが「流行歌」の直接的な起源といえる

  • バートン・クレーン「酒がのみたい」:当時の「ジャズ・ソング」の新奇性と滞日アメリカ人によるバイリンガル・カタコト日本語歌唱

  • 川畑文子「上海リル」:日系アメリカ人歌手(二世歌手)の相次ぐ来日
    日本におけるジャズ・ソング/流行歌のモダン性、アメリカにおける日系エンタテイナーの活動の難しさ、アメリカの主流的音楽におけるエキゾティシズム

  • ディック・ミネ「ダイナ」:日本語母語話者による英語風歌唱法

    ディック・ミネはもともとダンスホールのバンドのドラマーで、ドラムが入らず英語詞ではないタンゴやハワイアンをでたらめな歌詞で歌っていた。「英語風発音の日本語」はその延長上の、バンドマン的な遊びだったのではないか。ちなみにこの録音のスチールギターもミネ本人。この歌い方にGOを出したのは、当時テイチクの重役待遇でプロデューサー的な業務も行っていた古賀政男といわれる。

  • 二世歌手とニセ二世歌手による古賀メロディ「恋は荷物と同じよ」:古賀メロディが暗く悲しいものだけではないこと、そして当時のモダン文化の一翼を担っていたことがわかる

  • 灰田勝彦「こりゃさの音頭」:二世歌手のハイブリッド音楽の最高峰

2 台湾語混血歌謡から台湾語ロックへ
1950年代末〜60年代台湾における、同時代の日本の流行歌の台湾語カヴァー(混血歌)の隆盛。その背景としての国民党による台湾語抑圧。そのシンボルとしての「黄昏的故郷」。
一方で、戦後日本歌謡史における「民謡調流行歌」と三橋美智也の重要性を再認識し、「演歌」言説によって切断された歌謡史の連続性を再発見する。

・越境する郷愁:「黄昏的故郷」をめぐって

  • 三橋美智也「赤い夕陽の故郷」(1958

    「流れ者」の題材、C&W風ギター、3連リズムと弱起メロディ等々、西部劇的要素が「民謡調」の発声で歌われる(小林旭「ギターを持った渡り鳥」の元ネタ?)。作曲は、戦前にミルズ・ブラザーズ風のジャズ・コーラス・グループのコロムビア・リズム・ボーイズを率いた中野忠晴。当時の流行歌の近代性と土着性をかなり高い次元で融合した楽曲であり歌唱?

  • 文夏「黄昏的故郷」(1958

  • 編曲はほぼ完コピ、歌詞も直訳。60年代後半以降「禁歌」となる。また、(主に政治的理由で)台湾を離れた人々の愛唱歌となる。

  • 伍佰&陳昇によるカヴァー

  • 1987年の戒厳令解除後の台湾アイデンティティの高まりとともに、インディ・ロックの文脈で(中国語ではなく)台湾語ロックを歌い始めた若い世代からも再注目される。伍佰&陳昇はその代表格(今や超大御所)。「禁歌」としての来歴が真正性を高めた?
    (参考・戒厳令解除年記念の禁歌コンサートでの文夏の演唱。アレンジは陳昇版をとりいれている。)

  • (*補足:蔡英文の総統就任イヴェントで原住民の歌手・巴奈(Panai Kusui)によって歌われたヴァージョン。ここでの「故郷」は原住民が回復すべき土地という含意を強く持つ。

橋幸夫「恋をするなら/墓仔埔也敢去」三態

  • 伍佰

  • 陳昇&橋幸夫

  • 蔡依林

(補足・レクチャーでは十分言えなかったこと。三橋美智也や橋幸夫は当時においてはきわめて重要だったけれど、現在では「演歌」の文脈でも「Jポップ」の文脈でも顧みられにくい存在である。むしろそれゆえに、当時の流行歌の多様性をわれわれが新たに発見し再解釈するための手がかりにもなるのではないか。それは60年代後半に大きな断絶を認めるような日本大衆音楽史観に別な視点を付け加えることにもつながるだろう。そのために、彼らの楽曲が台湾でカヴァーされ続けているありかたがとても示唆に富んでいるように思われる)

3 ダンスリズムの伝播と土着化
戦前から現在まで、ダンスと結びついたポップ音楽(音楽と結びついたダンス)は、身体という媒介を通じて越境し、土着化してきた。先の「恋をするなら」も「サーフィン」なる「ニューリズム」の一環として企画されたものだった。ダンス音楽の伝播と土着化は、活字と音盤による観念的な「洋楽受容」とは異なって、猥雑で官能的な(それゆえに文化的境界を越えやすい?)感受性に依拠していたのではないか。

・環太平洋的音楽家としての服部良一
白系ロシア人(ウクライナ系)のエマニュエル・メッテルに作曲と管弦楽法を習い、大阪のダンスホールで演奏し、松竹の道頓堀ジャズ・レヴューを東京に持ち込み、戦時中を上海で過ごし、戦後はブギで大当たりし、香港映画音楽の父となる。

  • 服部良一作曲「ジャジャンボ」:日本では空振り、香港で大成功

  • フィリピン発オフ・ビート・チャチャの様々な土着化
    *カーディング・クルス楽団「パチンコ」からドドンパへ(日本)

  • ドドンパ最大のヒット「お座敷小唄」の台湾語版「酒場情話」

  • 江玲「春的夢(支那の夜)」(香港):大東亜共栄圏宣伝歌から占領軍兵士の愛唱歌へ

  • 黃清元「人生是苦杯」(シンガポール):60年代にシャドウズの影響下にエレキ・バンドのサウンドを定着させたThe Stylersがバック。OBCは「本格的」な英国風(シンガポールは元英領)ロックとは別に、華人の若者が日曜の午後に楽しむ社交ダンスのリズムとして人気があったらしい。そのため、台湾や香港経由で入ってくる楽曲の編曲が多く、そのさらに元ネタが日本である場合もしばしばあったようだ。この元曲は「ヤットン節」。1950年代初頭の酒飲み歌で、当時、占領期日本において(米兵や朝鮮戦争成金の乱痴気騒ぎとの観念連合で)「植民地的」「退廃的」と激しく非難されていた。当時のインテリや文化人が忌み嫌った「俗悪な流行歌」の典型。

  • John Teo & The Stylers, “I love Boh Boh Cha Cha”: 1970年代の日本社会の記憶がある人なら誰でも知ってるあの曲のカヴァー。boh boh cha chaはマレー風デザートの名前。もちろんリズムのcha chaとかけている

  • (当日紹介できなかったネタ:

    ①戦前上海の懐メロのチャチャ編曲にあわせてご婦人たちがラインダンス。現在OBCといえばこれがイメージされるらしい。

    ②台湾原住民アミ族のチャチャ。原曲はあの曲(実は和製ボサだった!)

    ③近年の台湾映画主題歌でのチャチャ(2015)。北京出身の富豪青年と台湾南部出身の令嬢の結婚に際しての両家の文化的風習の衝突を主題にした正月の娯楽映画で、派手で下世話な「台湾南部の宴」の象徴として用いられている
     映画はこちらから。

  • Namewee黃明志「泰國恰恰Thai Cha Cha」(2017):”You’re not Thai People. You don’t know Thai Cha Cha”. Nameweeはマレーシアの華人で台湾に留学していた音楽家兼映像作家。アジア各国のエスニック・ステレオタイプを極端に増幅して露悪的な笑いをとるスタイルが特徴。つまり「いかにもタイ的」な意匠としてタイ・チャチャが用いられている。

    結:日本ポップの批評的(かつノスタルジー的)再解釈

  • 日本・香港・韓国のダンシング・ヒーロー詰め合わせ:ビデオ作成者はシンガポールの代表的メディア研究者のLiew Kai Khiun. 彼との対話が今回のレクチャー全体に大きく影響している

    和製洋楽ユーロビート→全盛期広東語ポップ→日本でのバブル再解釈(誤読)→K-POPへの取り込み→韓国のアイドルオーディション番組でのAKBメンバーによる演唱。東アジア大衆文化におけるJからKへの中心の移動?

  • 9m88(台湾)によるPlastic Loveカヴァー(2017):80年代ベストテン番組へのオマージュ。「かつて憧れた日本」へのノスタルジー? 80年代日本のシティポップの「かつて憧れたアメリカ」と同型?

  • 2020年に向けて、または英語風日本語から日本語風英語へ

    (「東京五輪音頭2020」との差に愕然…)

目黒はカリブ海にあり

Text by Masu Masuyama 文:マスヤマコム

「死ぬまでに、一度(あるいはもう一度)行ってみたい場所は、どこですか?」

このテーマを軸に企画、編集された旅の本や写真集、Webサイトなどが、ここ数年、ブームから定番になりつつあると言っていいほどの広がりを見せていることもあり、いわゆる旅行好きでなくても、頭のどこかにある質問かもしれない。

ハワイ、ニューヨーク、パリ、モン・サン・ミッシェル、ウユニ塩湖、絶景ポイント…etc.。写真や動画では、逆に見飽きているような場所でも、実際に行ったことがある場所というのは、かなり限られているものだ。「行きたい場所は、特にありません」という答えは、達観したように聞こえなくも無いが、マンガや映画、アニメや小説という「物語」の世界を少しでも楽しむことができる人は「ここではないどこか」に行きたい願望がゼロだとは言えないと思う。もちろん、そこには実在しない場所や時間軸の違う「どこか」も含まれるが。

ここでは「実在する場所」に限ってみよう。国内外を問わず、自分が定住しているエリア以外で、ある程度の時間とおカネがあれば行けるところ(この時代、宇宙!という人が居るかも…)。その中で「一度は行ってみたい場所」をイメージしてみることは、アームチェアトラベラーの究極の楽しみではないだろうか。私の場合、そのひとつが「バハマ」だった。その理由は、あるレコーディング・スタジオの存在である。

バハマの中森明菜

「コンパス・ポイント・スタジオ」。70年~80年代のポップ・ミュージックが好きな人であれば、聞いたことがある名前かもしれない。そこでレコーディングされた楽曲から、私の好きな曲を並べてみよう。

Third World – “96 Degrees in The Shade”

Talking Heads – “Thank You For Sending Me An Angel”

The B-52’s – “Rock Lobster”

Roxy Music – “More Than This”

私は、FMラジオで番組をやっている(企画・構成・出演)仕事がらもあり「自分の好きな曲」については日常的に(しかも深く)考えている。そして上に挙げた4曲(あるいは4枚のアルバム)は、シンプルに「ムチャクチャ好きな」楽曲たちなのだ。もちろん、スタジオが名曲を生み出すわけではない。アビイ・ロードで録ればビートルズではないし(当たり前 笑)、ストーンズのモービル・スタジオで録れば…(以下略)。それを大前提にするにしても、コンパス・ポイント・スタジオで作られたレコードには、少なくとも私にとっては至上の名盤が多い。

素晴らしい楽曲が生まれるかどうか…音楽レーベル、プロデューサー、ミュージシャン、エンジニアなどの力量やセンスは当然として、リリースされるタイミングもかなり大事な要素だと思う。前者が「人の和」、後者が「天の時」だとすれば、スタジオは「地の利」になるだろうか?コンパス・ポイント・スタジオの「利」を求めて、古くは1979年に加藤和彦が、80年代には中森明菜や南野陽子といった歌謡曲勢も、90年代には吉田拓郎も、バハマまで飛んでレコーディングをしている。

しかし「カリブ海にあるバハマ諸島」といっても、その正確な位置や行き方、社会状況などをググらずに答えられる人は稀だろう。私も、今回、初めて行ってみるまで「NYから3時間」で行けるほど近いとは知らなかったし、行ってみてようやくピンと来た「実感」も少なくない。

バハマの目黒

まず、単純に言うと「ビーチリゾート」である。直行便ならNYから3時間、アトランタからなら、なんと2時間で着いてしまう。白い砂浜と青い海、充実したホテル群、カジノもある。さらに、ハワイよりはるかに広いエリアに、なんと700以上もの島しょ郡がある(人が住むのは30程度)。英連邦の加盟国なので、イギリス的な英語が使われ、マナーやドレスコードもアメリカよりきびしく、クルマは左側通行、君主はエリザベス女王である。

サラッと書いてしまったが、「アメリカ」と言っても、NYやカリフォルニア、ハワイくらい。中南米もざっくりと「スペイン/ポルトガル語圏」としてしかイメージしていなかった私にとっては「カリブ海にイギリス(的な場所)があった」というのは、軽いカルチャーショックでさえあった。イギリス的であることの意外な側面を強烈に体験したのは、1泊めの夜だった。ホテルのレストランはバカ高い割に大したことはない(推測)ので、口コミサイトで評判がいいスペイン料理の店に向かうことにした。沖縄本島とほぼ同じ緯度に位置するバハマだが、夜には気温27−28度程度。真夏の東京よりは、よほど快適である。ホテルの正面口から、タクシーを呼んでもらう。クルマはホンダ、右ハンドルで、運転手はガタイのいいアフリカ系のオバちゃん、服装もピンクで派手、トークも陽気である。ここまではいい。オバちゃんが言い始めた。

運「このクルマは日本のクルマなのよ。日本のクルマいいわよね。ところであんた、日本から来てるなら、日本語わかるでしょ?」

私「うん、わかるよ」

運「じゃあさ、ちょっと私のラジオ直してくんない?日本語でしか出てこないからわかりゃしない!」

私「え?何?壊れてるの?(意味がわかっていない)」

運「そうじゃないのよ、今、停車するから、アンタ助手席に来て、見てみてよ」

私「??(停車して助手席に乗り込む…)え?このカーナビ、なんで現在位置が『目黒』になってんの?!これって、東京の俺んちの超近所なんだけど!?」

運「だから言ってるじゃない、日本語しか出てこないのよ!ラジオ聴けるかしら?」

私「(だんだん状況がわかってくる)このクルマ、カーナビだけじゃなくて、いろんな表記がみんな日本語だ!日本の車検のシールまで貼ってある、笑。そっか、これ中古車を輸入して、そのまま使ってるんだ!笑」

運「何ゴチャゴチャ言ってるのよ、ラジオ聴けないの?」

私「これ、日本国内仕様のカーナビ(ラジオ含む)だから無理だと思うよ…。それにしても、よりによってカリブ海の真ん中で『目黒』って、なんかSF映画にでも入り込んだ気分だよ(この間、私ずっと笑)」


要は日本の中古車は、右ハンドルなので、世界では数少ない「左側通行」に向いており、バハマのような英連邦の国では人気なのだ。実際、日本中古車輸出業協同組合の統計を見てみると、2016年には約120万台の中古車が、日本から海外に輸出されており、輸出先のトップ30にはニュージーランド、ケニア、マレーシアなど左側通行の国が多い。バハマも29位に入っていて、年間6,000台以上の日本車が輸入されている。その後、別のタクシーに乗ったときも、同じような日本語表記の中古車だったから、それなりに人気なのだろう。人口比で計算してみたところ、日本国内の新車(国産車)は、1年に日本の人口の約5%に売れているのに対し、バハマでは人口の約2.5%に日本中古車が売れている計算になる。

(物価が高い以外は、ほぼ)完璧なビーチリゾートに来て、日本の中古車輸出状況を知るために電卓を叩くとは、まったく予想をしていなかったが、旅のおもしろさは「セレンディピティ」(良い意味での偶然の出会い)にあり、というのが私の持論である。これでまた、私のSRD(Serendipity)ポイントが(多分)5上がったと思う。死ぬ前に、来られてよかった。

2018年8月某日 文・写真 マスヤマコム


本文は↑まで、なんですが、このエッセイというか文章は、東京ベースの私(マスヤマコム/投資家・コンテンツP)、NY(トロント)ベースの近藤司さん(コンドウ・ツカサ/脚本家)、パリベースの世川祐多さん(セガワ・ユウタ/パリ第七大学博士課程日本近世史専攻)のリレー形式で続く予定なので、次の書き手に向けて、ちょっとパスを出しておきます。

ツカサくん、

遅くなりました。原稿はこんな感じです。少し前にチャットでこのページ(ゲイにとって旅行しやすい国かどうかのランキング。上位がしやすい国)のことを聞きましたが…

あれは軽い前フリでした。バハマは約200カ国中の121位で、まぁぶっちゃけかなり下の方ですね。上に書いた「コンパスポイント・スタジオ」は2010年にクローズしているんですが、その理由はWikipediaによれば下記です。

“The Nassau studio was closed in 2010 due to the Bahamas changing political and social positions; homophobia as a main point. Many of the artists from around the world who record at Compass Point were being placed in a more and more threatening and dangerous environment.”

これに触れても触れなくても、どちらでもかまいませんが、「伝説の」レコーディング・スタジオの閉鎖理由が、(まぁ経済的なこともあるんでしょうが)これ、というのは、軽いショックでした。では、近いうちにNYで。

マスヤマ