Monthly Archives: 9月 2018

ハグを知った身体はもう元には戻れない

Text by Tsukasa Kondo    文:近藤 司

空港でスーツケースを預ける時の自分と、目的地でスーツケースをピックアップする時の自分は、違う自分。そんな感覚が私にはあります。自分が生まれ育った国を離れて生活していると、どうしても違う言語、違うルール、を身につける必要があります。日本とアメリカの場合、似ている側面もあれば、違うところはとことん違う。どちらの国の常識も脳みそから指先まで、マッスルメモリーのように染み込んでいるけれど、同時に使うことが無いので自分の中に問題無く共存しているわけです。

ニューヨークJFK空港では英語でカウンターの職員と会話をし、スーツケースを渡し、飛行機の中でグラグラ揺られ、たまに日本語が話せるキャビン・アテンダントと会話をしながら少しずつ身体の中の「日本常識マッスルメモリー」がむくむくと力を取り戻してくる。日本に到着してスーツケースを取り上げる時にはもう、完全に日本ルールで街を闊歩できる自分を取り戻します。

常識マッスルメモリー切り替え失敗

1年前に、実に7年ぶりに日本に一時帰国をした時はこの「常識マッスルメモリー」の切り替えを上手くできずに、まるで外国人観光客のようにズレた行動を連発してしまいました。他人でも目が合うとニコっと微笑を作る。レストランやスーパーの店員に挨拶をする。レジの横のお金を入れるトレーを無視して、店員に現金を押し付け続ける。小さな歩道で車が通っていない時に身体が信号無視をしたくてウズウズする(ニューヨークでは警察官も歩道の信号無視をします)。リュックのチャックが空いている人がいると呼び止めて教えてしまう。電車の駆け込み乗車はもちろん、眼の前で閉じそうになる電車のドアを手で抑えたくなる衝動に襲われる。などです。挙げればキリがありません。

中でも抵抗するのが難しい「アメリカ常識マッスルメモリー」がハグや握手です。日本に帰って高校や大学の友人と久しぶりに会って「おぉー!」と興奮するとつい考える前に身体が両手を広げてハグをしようと自動運転を開始するわけです。「違う違う、この人とはハグはしないんだった」と脳みそが身体を制止する必要があります。と、こんなことを書くと「アメリカかぶれがイキがってるな」と言われそうですが、実はこの現象、ただ何かにかぶれる/かぶれないということでなく、文化や言語が私達の思考や自由意志(大きく出た!)に与える影響に関して非常に大きな示唆を持っている…と私は思うんです。

「もうアメリカ人になっちゃったんじゃない」

アメリカに10年住んでます、と言うとよく頂く反応は「もう(中身が)アメリカ人になっちゃったんじゃない」というものです。ハグや挨拶、英語なども含めてアメリカ人的な言動が増えているのは確かです。が、多くの人は渡米前が100%日本的だったのが10年経って80%アメリカ20%日本になった、という具合に全体のパイの大きさが変わらない変化を想像しているようです。しかし実感としては、それぞれの文化がカバーしている部分がズレているので、渡米前の100%日本的な自分に、アメリカでサバイバルする中で身についた50%なり80%なりが多少かぶさりながら上に加わる、という具合でしょうか。なので、%で表すのは的確ではないですね。

例えば、ニューヨークに引っ越して最初に私がためらったのは口約束の軽さでした。映画の話をしていて「じゃあそれオレも観たかったから来週、一緒に見ようぜ!」的に盛り上がったとしても、数日経って連絡をとってみると「ごめん!もう見ちゃった!」と言われたり。来週に入って連絡したら「ごめん今週ずっと忙しい!」と言われたり。あの口約束は何だったんだ…と憤ることがたくさんありました。アメリカはかなり具体的に予定を決めるか、直前になって再度確認を取らないと予定が実行されないことも多いわけです。こういった習慣は、10年たった今でも私は慣れません。「約束は口約束でも守る」という習慣は日本で強く守られているし、それで育ってきたので私にとってはその部分を「アメリカ的になる」のは難しいのです。

しかし日本的な慣習の中に存在していないもの、日本的なコミュニケーションでは表現方法が無かったもの、に関してはまるでポッカリと開いてた穴に水が注ぎ込まれるように自然と習得してしまうことがあります。

異文化に慣れるのは、日本文化がカバーしていない部分から

その代表例はボディランゲージ。知らない、という意味で肩をすぼめたり、自分が気に入らないもの(たとえば電車の中で大音量で音楽を流す人が現れたりすると)を見た時に首を振ったり目をぐるりと回したり。親指を立てて承認や同意や称賛を示すといった行為は英語力に関係無く、多くの日本人が渡米してすぐに習得します。

これは想像ですが、ボディランゲージが強い文化圏の人はアメリカに引っ越してもボディランゲージは母国のものが強く残るのではないでしょうか。しかし日本ではそれほどボディランゲージは強くないのでこういったアメリカ式のボディランゲージがすっと導入されるわけです。(でも相手にお辞儀をされると瞬発的にお辞儀をしてしまうのが好例です)。

私の親しい友人でアメリカに5年ほど住んだものの英語力は全く向上しなかったけれど、本人も気付かない間に肩をすぼめたり、人のつまらない冗談に無言で首を振るというアメリカ人的なリアクションを取るようになった人がいました。

これも「埋まっていなかった穴にアメリカの水が入った状態」です。こんなふうに、日本的な慣習の中に「穴を埋めてくれる水」が存在していない分野は、どんどんと「アメリカ化」が進むわけです。

表現のツールを身につけると、使いたくなる

日本に帰ってきて日本常識マッスルメモリーが完全復活した後でも、誰かがクシャミをすると「Bless you」と言いたくなるのは私がアメリカ人的になったからというよりも、一度何かを表現するツールを見つけると人間はそれを使いたくなる、という特性から来ているのかなと思います。もしもクシャミを聞いたら「天上天下唯我独尊!」と声を掛ける習慣が日本に根付いていたら、私は10年アメリカに住んだ後でもクシャミを聞くたびに「天上天下唯我独尊!」と叫んでいたに違いありません。

日本とアメリカを行き来していると、自分は常にちゃんと頭で考えているつもりでいて実際は、状況に合わせて、あらかじめ決まった穴から、そこに入っている水が反応しているだけじゃないか、と思うことばかりです。ジーザス!やシット!といった言葉で自分の怒りや憤りを表現することを学んだ私は、それを知ってしまったが故に日本語で同じことが気軽にできなくてストレスを感じます。両親に久しぶりに再会すると喜びでハグをしてしまいます。その一方でアメリカで人が話にグイグイと言葉を挟みこんで来ることにイライラもします。結局は自分が与えられた環境ごとに順番にポッカリと空いていた穴に水が入っていって、それに操られている私の自由意志はどこに?と思ってしまうわけです。

私は日本で生まれ育ったものの、3歳の時に英語で歌って遊んで芝居をする団体に入れられたため、英語との出会いは非常に早く、そして体験に基づいたものでした。幼少期に外国語に触れることのメリットはたくさんあると思います。逆に、大人になってから外国語を勉強する難しさは「母国語(日本語)を知っていること」にあります。どんな状況でもまず日本語が思いついてしまう。何かを見たり聞いたりした時に日本語のカテゴリーで頭の中で分類してしまう。すでに穴に水が入ってしまっているので、そっちが反応してしまうわけです。

もちろん、幼少期の脳と発達した脳では生物学的に違っているので、その違いのほうが大きいのでしょう。しかし大人になっても、催眠術で「日本語を忘れる」ことができれば、子どもが英語を習得するように短期間でペラペラになることができるんじゃないか…なんて妄想をしてしまいます。

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本文は以上ですが、日本に久しぶりに帰国して外国語のレストラン名の多さに改めて感心しています。東京で滞在していた目黒駅の近くで見つけたケーキ屋はスペルが「Dalloyau」。読み方が全く見当もつかなかったので店員に聞いてみたら「ダロワイヨ」でした。フランス語はyauでワイヨになるんですね。

初めてのロストバ◯◯◯

Text by Masu Masuyama 文・写真:マスヤマコム

旅にトラブルはつきもの。笑い話で済むレベルのものもあるし、危険な事故に近いものだってあるだろう。日本に居ると、あたり前に享受している「便利さ」や「正確さ」が、実は海外ではほとんど期待できない、というのは少しでも海外に出たことがある人なら同意していただけるだろう。

ドラマな日々

8月末、かけ足でスペインに行ってきた。目的はひと月後にあるショートムービーの撮影のロケハン、である。目的地はバルセロナなのだが、日本からの直行便はマドリッド行きしか無いので、まずはマドリッドで1泊。翌日、空港に行き、時間があったので軽く食事することにした。カウンターに立派な生ハムの切り出す前の状態(何て言うのだろう?要は「豚のモモから足の部分」だ)をいくつも置いた店があったので、座ってみる。

生ハム(ハモン)を含めて、4品の注文をすると生ハムとミネラルウォーター以外の2品はすぐに出てきた。のどが渇いてきたので、ミネラルウォーターを催促。出てきた。しかし、生ハムが出てこない…。搭乗の時間も迫ってきたので「あぁこれがスペインだ…」と自分を納得させながら、英語があまり通じないサービスのオバちゃんに「チェックしてください。でも生ハム来なかったから、それはキャンセルで!」と強く言いつつ席を立とうとすると、たまたま私の右隣り居たオッちゃんが、私の前に自分が食べている生ハムの皿を差し出し「食べなよ」とジェスチャーで言ってきた!かなり賑やかなオープンスペース作りの店で、私は彼の逆側を向いてオバちゃんに「キャンセル」と言っていたのに、よく聞こえてるもんだな、と思いつつ、嬉しいサプライズに感謝して、一切れだけつまませてもらった。

バルセロナの空港に着いて、バゲッジクレームで荷物を待つ。なかなか出てこない…。今までの人生で、荷物をチェックインして飛行機に乗ったことは、数百回あると思うのだが、バゲッジが出てこなかったことは1度も無い。バゲッジが何らか理由で「ロスト」する確率は、2016年の統計で0.65%。計算すると約150回に1回だから、確率的には正しい?いやいや…などと時間をつぶしていても出てこない…。同じ飛行機に乗っていた乗客が十数人、私と同じように「やれやれ…」という顔をして荷物の出てこないベルトを見つめている。ついにターンテーブルは止まり、空港の職員がピックアップされなかった荷物を集め始めた。

私もあきらめて、バゲッジ関連サービスと書かれた窓口の長い列に並んだ。実は、乗ってきた飛行機は4時間遅れており、すでに23時を回っている…。ロストバゲッジ。私には初めてでも、窓口の職員にとっては日常だ。事務的に連絡先などを告げ、書類を受け取り「通常、明日にはお届けします」という言葉に少しだけ救われる。

スーツケースを持たず、トボトボと出口に向かいながら「万が一」と思い、自分の荷物が出てくるはずだったターンテーブルを見ると、遠くの方に数個、荷物が放置されている。さっき荷物が出てくるのが止まった後、次の便の荷物が出てくるくらいの時間は経っている。どうせ違うだろう、と諸行無常な気分で近づくと、1つめ、2つめ、3つめ…あった!!生ハムといい、バゲッジといい「トラブルの後の救済」という典型的なドラマを、毎日のように体験させてくれる。さすがダリやピカソを生んだお国柄…(これは皮肉ではない)。


前向きなあきらめ

バルセロナでは、泊まっていたAirbnbのエレベータがちょうどチェックアウト時に止まり、7階から手持ちで26kgの荷物を降ろさなければならない…という問題があった他は(その後、数日は筋肉痛)まぁまぁ順調にコトは進み、帰国する日になった。バルセロナから日本へは、北へ向かう方が距離的には近いのだが、スペイン往復の直行便を選んだため、いったん南へ、マドリッドまで国内便に乗らなければならない。通常は国内便から国際便でも、乗り継ぎの空港で荷物は航空会社が載せ替えてくれるのだが、チェックイン時に「これは(国内便と国際便の)予約が別々だから、マドリッドでいったん荷物をピックアップして、再度ドロップしてください」と言われた。めんどうだが、仕方がない。幸い、ターミナル間の移動は無いようなので、少し手間がかかるだけだ。乗り継ぎ時間は2時間近くある。

ゲートから搭乗までもスムース。予定より10分くらいは遅めだが、これくらいは普通のことだ。しかし、搭乗してからまったく動かず、アナウンスも無い。中央に1つしか通路が無い小さい飛行機で、私は前から5番目くらいの列に座っていたので、よく見えたのだが、いったん閉じていた機外へのドアが再び開けられ、蛍光色の作業着を来た技術職員らしい男性が複数乗ってきて、コックピットへと消えた。

10分経っても20分経っても、まったく進まない…。アナウンスも無い。機内の男性CAが、何人かの乗客にスペイン語で話しかけている。私はスペイン語はわからないので「荷物をピックアップする時間が…」とイライラしつつも、どうすることもできない。30分、40分…ついに1時間経ってしまった。最悪の場合は、マドリッドの空港で1泊か?!などと思いつつ、まだ待っていると、男性CAが英語で話しかけてきた

「東京に行かれるんですよね?」

「そうです」

「これはお客様が選択されることですが…荷物を受け取って再度載せる時間が無さそうです。荷物は、そのままにして、お客様は東京行きの搭乗ゲートに向かわれるのがベストかと思われます」

「え?!あ…はぁ」

私自身も、当然、そういう選択肢も考えなくはなかったが、どうしても「自分の荷物をあきらめて、空港に放置する」という行為のイメージがわきにくく、荷物を優先して空港に1泊?とと思っていたのだ。まさか、航空会社側から「それ」を勧められるとは…。

結局、マドリッドには1時間以上遅れて到着。私以上に困った顔の「メキシコ行き乗り継ぎ」の乗客は、降りたとたんに走り始めた。私は、荷物さえ無ければ、そこまであわてる必要も無いので、東京行きのゲートに向かう。機内で言われたとおり、ゲートの職員に「バルセロナからの便から、東京行きに、荷物を載せ替えてもらえないだろうか?」と一応打診してみたものの「無理ですね」と一言。

成田には定刻に着き、ターンテーブルで航空会社の職員にバゲッジのタグを見せつつ状況を説明すると、さすが日本、大変恐縮しながら手続きを進め、税関にも一緒に来てくれた。考えてみれば、1週間のヨーロッパ旅行から戻ってきて、背中のバックパックひとつ、というのもかなり怪しい。バゲッジには急いで必要なものは何も無く、都内の自宅に戻れば、当然、生活に必要なものはそろっているので、まぁ無事に帰って来られたからよかった、無料でバゲッジ届けてもらえるのは、ある意味ラッキー…などと思いつつ、成田エクスプレスに乗った。

それにしても、人生「初めてのロストバゲッジ」が「自主的なロストバゲッジ」になるとは、想像もできなかった…。

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本文は以上ですが、ツカサくん、マドリッドの信号は「LGBT仕様」になってました!

ちなみに、バゲッジが自宅に着いたのは、帰国後4日め。早いのか遅いのか、よくわかりません 笑。

「とりま。」始めました。

Text by Masu Masuyama 文・写真:マスヤマコム

「とりま。」とは、NY/トロント在住の脚本家、近藤司(こんどう・つかさ)、パリ在住の歴史研究者世川祐多(せがわ・ゆうた)、東京をベースに年に3ー4ヶ月は海外に居る投資家/コンテンツ・プロデューサーのマスヤマコム、という3人をメインとして、月に数回のペースで文章を公開してゆく企画の名前である。

カチッとしたテーマがあるわけではないが、日本生まれ、育ちながら海外在住/経験が長い3人なので、必然的に海外の話題が多くなるだろう。ただ、単純な海外体験、旅行記ではなく、結果的に日本や日本文化が「相対化」して見えたり感じたりできるように意識はしている。

作家の佐藤優が『世界史の極意』(NHK出版新書)という本で、ロシアとイギリスの「世界史の教科書」(中高生向け)を比較している。簡単にいうとロシアは「ロシアにとって有利な論理」を展開しているのに対し、イギリスの教科書は「歴史を相対化して、過去の間違いから学ぶ」という姿勢を徹底しているのだ。佐藤優は「歴史認識としては、イギリスの方が圧倒的に強い」としている。なぜなら、イギリスは「自分の弱さを自覚した上で、今の時代(原文では“新・帝国主義の時代)への対応を模索しているから」である。

「とりま。」でも、その意味で「日本を相対化して見えるように」しようとしている。といっても、難しい話ではない。私(マスヤマ)が、海外に行くことが多いと言うと、ほぼ自動的に「いいですね〜」という社交辞令のようなホンネのようなリアクションがあるのだが、それに対して私は「海外に行けば行くほど、日本での生活、習慣、文化の素晴らしさを実感しますよ!」と答えることにしている。これも、ひとつの「相対化」と言えるだろう。

なお「とりま。」というのは「トリオ(3人組)」という単語をいじっているうちに出てきたネーミングであり、どう解釈していただいてもかまわない。とりま、始めました。