Monthly Archives: 11月 2018
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料理は苦痛か?~フランスのキッチンから~
Text by Segawa Yuta 文:世川 祐多
おパリの庶民キッチン
6年間パリに住んで、3回家が変わったから、パリの典型的なアパルトマンのキッチンを経験した僕。
金をかけてリフォームしてIHにしてある家はもちろんあるが、パリのキッチンは、もちろん部屋が狭いからキッチンも狭く、ガスはあまり引かれていないから、電気コンロが主流である。
ヨーロッパの謎で、いつまでたっても旧式のものが、世代交代しないで存在する謎がある。
電気コンロ、IHに駆逐されていてもいいと思うのだが…
また、パリの人々は日本人のように、都市ガスだのにこだわって、ガスを常備したいするという気持ちがないと思われる。というより、パリの街は現代社会に追いついていないから、設備を増やすことは厄介を増やすだけである。
たとえば、人口増加に耐えられない、小さな6両編成のメトロ。またメトロには、ハンディキャップのある人や子連れ年寄りには酷なことに、新設の路線を除きエレベーターもエスカレーターもない。しかもあってもしょっちゅう止まっている。
昔々の建物に、細い配水管と電気をようやく設置しているから、全てにおいて使い勝手が悪く、しょっちゅう問題を起こす水回りと電気。
例えば、僕はウォシュレット欲しいなと思うが、トイレにコンセントなど設置されていないから、そもそもつけられない。そういう勝手の悪さである。
なので、ガスがあるということは、電気代+ガス代になるわけだし、設備管理も増えるわけで。ガスも時々あるけれど、パリには電気が精一杯なのである。
さて、これが、その電気コンロPlaque électrique。
これが実に料理がしにくい。
熱されてしまうと、当分コンロが冷めない。そして、マックスの温度も火のようには上がらないから、炒め物とかがあんまり気持ちよく決まらない。チャーハンとかが水気が飛び切らなくてうまくできない。
だから、苦痛というわけではないが、料理をする気合が全く、入らない。
部屋が狭いと炒め物の匂いとかが部屋に充満するし…
ガスとキッチンから始まる料理生活
やはり料理をするには、それなりの広さの家。気分が高揚するキッチンが必要とは、僕の持論である。
僕はフォンテーヌブローに移住したばかりである。
フォンテーヌブローはパリの東南70キロにある世界遺産の地方都市で、緑豊かで、ロッククライミングの聖地でもあり、グーグルマップを見るだけでもこの街が特殊だとお分かりいただける。
この街は、こざっぱりしているから、どこかのタイミングで都市ガスの整備をしたと見え、都市ガス完備の我が家は、相当満足できるキッチンである。
やっぱりガスだ。
火加減の調整はうまく行き、煮込み・炒め・茹で・何でも思い通りにできる。
キッチンが満足できるものだと、様々のものにこだわっていきたくなる。
コーヒーの豆挽き、直火式のエスプレッソマシン、良さげな塩などなど、調理器具や調味料にも気合が入り、さながら貧乏独身貴族みたいなこだわりが出てくる。
こうなると人によるであろうが、料理がしたくなってくる。
形から入る男の僕のこと、なおさらである。中身は伴わなくてもよい。
わりに、家事は好きな方なので、それなりにこの家のキッチンや炊事洗濯を気晴らしを兼ねて満喫して、いつでも隠居し、主夫になる準備だけはしておく。
商店街とマルシェが生きている街
相当気に入って暮らしている街、フォンテーヌブローであるが、ここは火金日に立つマルシェが有名であり、野菜・肉・魚・チーズ・乾物・ワイン何でも美味いものが手に入る。
マルシェのある八百屋の親父は、車寅次郎ばりの口上で、お買い得の掛け声をあげるので、どうやらフランスにも紋切り型の口上があるらしい。
マルシェの野菜は新鮮そのもので、色からしていい。
魚は日本に劣るが、肉は赤々としていて、絶品。
ただし、どうしても日本に生まれ育った僕としては、フランスの食事は重いので、軽い料理の方がいい。
なんだかんだ、自然と地場のもので、和風のようなものを試行錯誤していくことになる。
例えば、日本ではなかなかないが、贅沢にも、フランスは鴨に潤沢である。
鴨を買ってきて、塩と胡椒で、焼いて、食べる。付け合わせは何かの野菜。
鴨で、ウイキョウだのアンディーブだのの野菜をブッ込んで鍋にしても美味い。
こういう、野郎の料理でも、十二分に料理は日々の気晴らしになる。
本当は日本酒党だから、そういきたいが、そこは赤ワインで辛抱。
街の中央にある、商店街には、気に入った八百屋・肉屋・魚屋・ワイン屋・シャンパン屋ができたから、そこに馴染みになり、ちょこちょこ美味そうなものを買っておく。
料理には気持ちの高揚する買い物も重要な要素である。
フォンテーヌブローと、日本の市場やデパ地下や、谷中銀座的商店街は、料理系で日々の庶民生活をワクワクさせてくれるお買い物空間であることは間違いない。
快楽としての料理
ルーティーンは、僕が最も苦手とすることの一つである。
何かの刺激や変化がないとどうもつまらない。
酒と女は修行ばかりでつらい男の人生を慰める絶対不可欠のこの上なく大きな要素。
そして、料理人ではなくとも、日々の生活で料理をするということは、女ほどは快楽をもたらしてはくれないが、男のプチ快楽にはなりうる。
女の人が、料理が苦痛というなら、それは、家事の一環として、何か家族に食べさせなきゃということで、レシピを頭の中でひねり出しながら、何とか料理をつくらなくてはいけないというルーティーンと化すから、苦痛なのかもしれない。
自分に何かを強いる時、それは苦痛でしかない。
僕は運転が好きだからいいが、運転嫌いの人が相当いて、必要に迫られて、毎日のように運転せざるを得ない人たちは、結構苦痛らしい。
主婦・主夫でも、料理したい。料理しよう。という気合からの行動ではなく、料理しなきゃになった時点で、もう終わっている。
そういう時は、ルーティーンから抜け出すトライはした方がいいかもしれない。
一度、とある会社で、そこのキッチンを使って、家庭に来てレストランをしてくださる、すごい料理人の方の料理を堪能したことがある。家庭をレストランにするというひねった趣で、めちゃくちゃ面白いし、私的空間で料理人を呼んで料理を食べれるなんて素敵だ。
こんな風に職人さんを家に呼んじゃう。とか、母親や妻としてのルーティーン料理をサボタージュして、旦那や子供を数日間奴隷のように酷使して家事をさせるとか、なにかゲーム要素を取り入れてもいいかもしれない。
さて、私は料理人ではなく、普通の男なのでルーティーンとしての料理ではなく、適当に料理の道楽を極めてみたい。
男なら、タモさんぐらいの道楽者にはなってみたいものだ。
『料理が苦痛だ』
Text by Masu Masuyama 文・写真:マスヤマコム
『料理が苦痛だ』(本多理恵子著/自由国民社)という本を読んだ。「料理が苦手」でもなく「下手」でもない。当たり前だ。著者は鎌倉でカフェを経営し、人気の料理教室を主宰する女性なのだから。
私自身は、料理が「得意」でも「上手」でもないかもしれないが、「好き」であることを公言している。しかし、この本を読む前から強く感じていたのだが、私が「料理好き」と気軽に言えるのは、それが義務ではないからだ。1人暮らしなので、好きな時に、好きなものを、好きなように作ればいい。あり合わせのモノでチャチャっと作ることも多いが、2日前から準備して(それなりに)凝った料理を人にふるまうこともある。
本書の著者が言う「苦痛」とは、「家族のために」「ちゃんとした料理」を「作り続ける」ことだ。確かにそうだろう。家族が終日居る日などは、朝・昼・晩と、準備や片付けを含めれば、1日のほとんどを料理に割かなければならない。一方、家事の中でも掃除や洗濯が「好きではない」人は多いかもしれないが「苦痛」とまで表現する人は、あまり居ないのではないか?それは、料理だけが「毎回違うアイデアと作業」を期待されるからだ。
そしてこの「期待」は、かなり日本的な現象ではないかと思う。本書でも、料理が苦痛であることの理由のひとつが「『毎日』『毎回』違うおかずを作るという呪縛」と表現され「日本ってご飯に手間をかけすぎてない??」と疑問を呈する。そして、苦痛や呪縛から逃れるための対処法が爽快なくらいシンプルだ。
「料理をやめる!」
これは、自分にとっても家族にとっても、毎日あたり前のようにやり(やってもらい)、食べていた料理/食事という活動を、いったん突き離して、それにどんな価値や意味があるのかという「対象化/相対化」の手順なのだと思う。私自身は、料理ではなく「食べるのをやめてみる」(断食!)を、年に2~3回、伊豆にあるリゾート的な専門施設でやるのが、ここ数年の通例になっている。「食べないこと」ほど、食の価値や意味を深く実感させられる行為は無い。少なくとも、私にとっては。
これは、他のことにも応用できそうだ。
・スマホもPCもやめてみる!
・徒歩以外の移動手段をやめてみる!
・性的な行為をやめてみる!
…etc.
本書では、料理をやめるための準備期間、そして実際にやめている間に、どういうことをすべきなのか、とても納得感のあるアドバイスが書かれている。そして、自分で決めた一定期間の後は「料理を再開する」のだが、そこに挙げられた「これなら作れるレシピ集」が、料理好きにとってはとても興味深い。本でもネットでも「簡単、ラクチン、○分でできちゃう!」という売り文句のレシピは数多いが、それとはやや発想が違い、料理をする人の「やる気」をもっとも重視するのだ。いわく「料理をしなくてもいいから、まずはキッチンに立ってみましょう」。
レシピの詳細など、ぜひ本書にあたってみてほしいが、ここで、私が日常的に「おもてなし」で使う、料理ともいえない「食べ方」の方法を紹介しよう。これは、今まで出した人全員にウケた「最初の一品」である。
材料
・木綿豆腐(なるべく豆の味が強そうなものがベター)
・オリーブオイル(エクストラバージンがベター)
・塩
・醤油
下準備
・豆腐をペーパーでくるみ、重しを乗せて皿を傾け、室温で1時間くらい水を切っておく。
レシピ(というほどでもない…)
・豆腐を小さく(切手2つ分くらい)、薄く(1cmくらい)、4つ分切る。
・4通りの味つけで順番に豆腐を食べる。
1:何も味つけしない。
2:少量の塩
3:塩とオリーブオイル
4:少量の醤油
冷奴、というか、豆腐をそのまま食べようとする場合、多くの人は「何も考えずに醤油をかける」のではないだろうか。もちろん、ショウガ、ネギ、鰹節などをかける人も居るだろう。しかし、ちょっと待った!皆さん「素材の味を楽しむ」のが好きではないんですか?豆腐って(もちろんモノによるが)、そのまま食べても充分美味しい。この順番通りに、小さな豆腐を口にすると、最後の「醤油」がいかに強い味つけの調味料かが実感できる。
これは、私が行く「断食施設」で、3日めの「回復食」に出てくる食事からヒントを得た食べ方だ。1日めは薄い味噌汁のみ、2日めはスムージーとスープのみ、という「食べない」日を過ごしてきた舌と脳には、塩も醤油もつけない(鰹節は少量かかっている)ごく少量の豆腐が、最高の美味と感じられる。この4種以外にも、マヨネーズだろうが、フレンチマスタードだろうが、一般的に味つけに使われる調味料なら、なんでも試せるはずだ。この手順ですら「苦痛」と感じる方は、おそらく「料理に興味が無い」のだと思う。
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ツカサくん、ユウタくん、本文は以上です。書評にするつもりで書き始めたのですが、最後、まさかのレシピ!笑。このシリーズ、続くかもしれません。
バルセロナとミラノで和食を!
Text by Masu Masuyama 文・写真:マスヤマコム
「和食」は世界の子どもたちに受け入れられるか?
ショートムービー『オマカセ・フォー・キッズ』の撮影で、スペインのバルセロナとイタリアのミラノに行ってきた。ムービーの内容は、現地の子どもたち(小学校低学年)に、本格的な和食のフルコースを食べてもらい、そのリアクションやコメントを撮影、編集する、というものだ。これまでにも、ニューヨーク、フランスのブルゴーニュで撮影をしてきて、今回と合わせて4本できることになる。「和食」を通じた日本文化のプロモーションを目的とする、一般社団法人MAMの非営利事業のひとつであり、2019年にはネット上で無料公開の予定だ。
フルコースどころか、普通の和食もまったく知らないアメリカやヨーロッパの子どもたちが、初めて本格的な和食を食べるところを見ていると、毎回色々な発見がある。まず「食べないものが多い」のだ。肉を食べない子は、今のところ居なかったが、魚がダメ、キノコがダメ、生ものがダメという子は少なくない。味つけにも好き嫌いがはっきり出て、ダシの味が好きという子はほぼ皆無、一番驚かされたのは「醤油がダメ」という子だった。子どもたちを選ぶときに、食べ物の好き嫌い等は考慮せず、自然なリアクションをしてくれることを優先しているから、という理由もあるにはあるが。
「和食」というのは、実はとても不思議な文化だと思う。言うまでもなく、日本文化は歴史的に中国から大きく影響を受けていて、ここに書いている文字の一部も「漢」から来たものだ。衣食住のうち、衣も住も、近代以前は中国の影響が強いと言っていいだろう。食も、コメが主食なこと、箸や醤油を使うことなど、中国と似ている部分が無いわけではないが、一般的にイメージする「中華料理」と「和食」は、かなり異なっているのではないか?
典型的な例を挙げれば新鮮な「生魚」や「生卵」を日常的に食べるのは、とても和食的である。アメリカ、ヨーロッパでは、生で食べるのは牡蠣と貝の一部のくらいで、シーフードのイメージが強いイタリアやスペインでも、生魚を日常的に食べる習慣は無い(生肉はタルタル・ステーキとして人気がある)。
もちろん、海外で「スシ」は大人気であり、ちょっとしたスーパーならパック入りのものがごく普通に置いてある。しかし、その中身は火が通ったサーモン、エビ、アボカドなどがメインで、新鮮な生の魚介類が入っていることは稀だ。日本人がイメージする生魚メインの「スシ」を食べるためには、それなりの値段を取る飲食店に行く必要がある場合がほとんどだ。
また「サシミ」も、いわゆる「ジャパニーズ・レストラン」(日本人以外の経営も多い)では定番メニューだし、料理の名前としても世界各地で通用する。しかし、日本のようにスーパーでごく普通の食材として様々な魚介類が生で置かれているということは、まず無い。そもそも、生食する文化が無いので、魚の獲り方、絞め方、輸送、販売の仕方までが生魚に対応していないのだ。
ここで念の為、記しておきたいのだが「和食は素晴らしくて、世界に冠たる文化だ」という優劣を含んだ含意で書いているわけではない。「食」は、数ある「日本文化」の中でも、特にユニークなのではないかという仮説である。世界レベルで見れば、和食よりも、ハンバーガー、ピッツァ、パスタや、一部の中華料理の方が圧倒的にポピュラーであるのは間違いない。
欧米に長く居ると食べたくなるのは?
さて、あなたが、すでに数週間という単位でアメリカやヨーロッパに滞在しているとしよう、宿泊はホテルなのでキッチンは無い。大都市なので和食店もあるが、だいたいの場合、高額でそれほど美味というわけでもない。あなたは、何が食べたいと思うだろうか?
おそらく、多くの人は…
「あっさりしたもの」
「さっぱりしたもの」
…が食べたい、と言い出すのではないだろうか?冷奴、蕎麦、酢の物…etc.。
これは、複数の欧米人に軽く聞いたのだが、彼らは「あっさりしたもの」や「さっぱりしたもの」という概念が強くないように見える。もちろん「軽い食事」という表現は、ごく日常的だが、それにはハムやチーズも含まれてしまうので、我々がイメージする「さっぱりしたもの」というとレストランやカフェではサラダやフルーツ、くらいしか選択肢が無いのだ。
また、和食では料理に「油」を使わないことはよくある。味噌汁、おひたし、漬物、茶碗蒸し、焼き魚といった典型的なメニューでは、油は不要である。これもあるスペインの女性から直接聞いた話だが「オリーブオイルもワインもチーズも使わないで料理をする。それでも美味しいものができるなんて、想像もつかない!」のだそうだ。
和食という「料理」から離れてみても、日本の食生活は独特といえる。あなたが、朝はパンとハムエッグ、昼は中華だったとしたら、夜には何が食べたいと思うだろうか。おそらく中華ではないだろう。昼がパスタであれば、イタリアンではないだろう。そう、日本では「毎日、朝・昼・晩」そして毎日と同じようなものを食べることは、あまり歓迎されない。それは外食であっても自炊であってもだ。
しかし、私が知る限り、日本のような幅広い調理法や味付けの食事を、日常的にしているのは、ごく一部のフーディと呼ばれる飲食マニアか、さらにごく一部の富裕層だけである。今回、イタリアでは合計3回、イタリア人の友人宅で食事をごちそうになったのだが、出てきたのは、日本的感覚からすれば判で押したように似たようなもの「チーズ、パスタ、つけあわせの野菜」、そして飲み物はすべてワインである。

2015年12月30日のCNNの記事は、東京は「世界一の美食都市」であり、食材も素晴らしく、料理人の意識も技術も極めて高いとしている。今回、私が訪れたのはスペイン、イタリア、フランスと、日本では「美食」のイメージが強い国ばかりで、実際に現地ならではの素晴らしい料理も少なくないのだが、料理のバリエーション、繊細さという意味では、CNNに同意できると思う。世界の子どもたちが、本格的な和食を、どう食べたのか?ムービーの公開まで、少しお待ちください。
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本文、以上です。ツカサくん、ユウタくん、前回から一ヶ月以上も空けてしまって、ご心配おかけしました。フォンテーヌブローのユウタくん宅を訪ねてからも、すでに一ヶ月…。まぁ、ある種のユルさはあってもいいと思うんですが、ちょっとユルすぎですね(笑。埋め合わせ(?)に、数日後にもう1本アップします!

